確か今年2025年第100回の放送を迎えた仮装大賞
確か、僕が最初にお手伝いしたのが、40年前の第17回だったはず。
そこから2年半、第24回の放送まで携わっていました。
第17回の番組はお正月の放送で、前年秋に某制作会社に採用され、
12月の東京予選から、制作スタッフとして派遣されました。
最初は言われるがままに、ただ動いてただけだったような気がします。
ですが、とても多くのスタッフが、それぞれの仕事をして、
一つの大きな番組が作られていく事に、凄さを感じていました。
本番が終わって一息ついたところで、すぐに次回の準備が始まります。
参加希望者から送られてきた、仮装のアイディア記入用紙を見て、
実際に形にするにはどうしたら良いか、一緒に考えたりアドバイスして、
具体的な仮装が成立するように電話で話して進めます。
そこそこ形になりそうになったら、地方予選に来てもらい審査します。
当時は全国10ヶ所で予選を行っていました。
札幌・仙台・新潟・富山・静岡・名古屋・大阪・高松・福岡・熊本
そして最後に東京で2日間の予選を行い、本選参加者を決めます。
地方予選のお楽しみは、郷土料理と旬のご馳走
東京キー局のディレクター・プロデューサーが地方予選に行くと、
ネットローカル局は、手厚く迎えてくれる事も多くありました。
僕ら末端のADも、その恩恵を受けていたことは否めません。
その土地の美味しいものを食べることが、一番のおもてなしで、
20代前半の僕は、初めて食べる美味しいご馳走に刺激をもらっていました。
特に印象に残っているのは、福岡で食べた『白魚の踊り食い』
生きた5センチほどの白魚を、酢醤油に付け口の中へ。
そのまま飲み込む感触も、歯で噛んで飲み込むのも、
少し後ろめたさを感じて食べていたので、今でも鮮明に覚えています。
少し足を伸ばして、寄り道した事もありました。
当時、制作管理部門の部長さんだった方のご実家が、
長崎の五島列島なので、みんなで遊びに来なさいと招待されました。

福岡空港からこのセスナ機で五島へ飛ぶのですが、一応定期便です。
ヒラヒラと小型機特有の揺れが、ちょっと怖かったのを覚えています。
シャツ・インが時代を感じますね照 今、逆に流行っているとか?
2年半という、比較的短い期間でしたが、いろいろな経験をさせてもらいました。
上司に当たるスタッフも、ほぼ父親世代の方ばかりでしたが、
社会人として最初の一歩を踏み出す時に、とても良くしていただきました。
一番近くにいて、頻繁に構っていただいたのが、五歩一勇プロデューサーです。
人生で最初に焼肉を食べたのも、五歩一さんとスタッフで行った、
赤坂の京城苑だったと思います。
五歩一さんは赤坂にご自宅があり、ビルの2階がスナックのようなお店で、
何度かそこで飲ませていただいた事もありました。
当時小学生くらいだった息子さんが、現在同じ日本テレビに居て、
活躍されていることを少し嬉しく感じています。
まだまだいろいろあった2年半のこと、次回をお楽しみに!